観光スポットの多い京都は、おそらく一度の旅行では、主な名所をまわりきることはできません。京都観光は何回かに分け、それぞれテーマを絞ってルートを決めることをおすすめします!
さて、今回スポットをあてるのは戦国時代の武将、豊臣秀吉!織田信長の没後、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。京都には秀吉ゆかりの場所がいたるところにあります。
京都観光に便利な一枚、「京都市バス一日券」を使って出かけましょう!
Contents
「京都市バス一日券」で秀吉の発見旅
聚楽第
江戸時代初期に描かれた「洛中洛外図」。京都のまちに白壁の天守の立派な建物が描かれています。
京都にこんな建物あったの!?
豊臣秀吉の政庁兼邸宅として1587年(天正15年)9月に完成された聚楽第です。
豪華絢爛を絵にしたような聚楽第の敷地は二条城よりも広く、都にひときわ大きな存在感を示してたそうです。
今はないの!?
1591年(天正19年)に関白職と聚楽第を甥の豊臣秀次に譲った秀吉ですが、秀吉に嫡子・秀頼が誕生したことで、秀次は強制的に追放され聚楽第も破却されることになりました。
さて、聚楽第はどこにあったのでしょう…
聚楽第のあった場所は京都市上京区あたりだといわれています。平安時代には平安京(大内裏)があった所のようです。
ハローワーク西陣の向かいに聚楽第趾の石碑が立てられています。
この付近は聚楽第の東堀にあたり、1992年に聚楽第のものである金箔瓦が発掘されました。
その西側の京都市立正親小学校にも聚楽第趾を示す石碑と説明板が立てられています。
小学校の近くの説明書きには、小学生にもわかりやすい言葉で説明されています。このような歴史的な遺構がそばにある小学校ならきっと歴史の好きな生徒が多いと思います。そう思いませんか?
聚楽第南外濠跡
松林寺付近にある聚楽第南外濠跡の石碑です。
松林寺の門の奥には大きな段差があり、石碑が記す外堀のような雰囲気があります。
しかし聚楽第が描かれた絵には堀の存在が見られず、この窪みも謎に包まれています。城壁をつくるための土がここで掘り起こされたのでは?との推測もされているようです。
京都新城(京都御所)
竣工後わずか8年で取り壊されたため、「幻の城」といわれる聚楽第、その代わりとなる屋敷として「京都新城」が設けられました。
「京都新城」は豊臣秀頼が短期間利用し、その後は秀吉の正室である高台院(北政所)が隠居屋敷として使用していましたがこちらも解体されています。
最近ニュースで「京都新城」の石垣や金箔瓦などが発掘されたころで話題になりました。それまでは文献のみの確認で発掘されたことはなかったため「京都新城」も謎に包まれていました。
聚楽第を訪れたなら、最近その痕跡がみつかったという「京都新城」のそばを歩いてみましょう。「京都新城」があったと云われる京都御所の南東にある仙洞御所付近。
今現在、石垣と堀の遺構などが発掘場所された場所を見学することはできませんが京都御所内を散策するだけでもその歴史の一部に触れることができることでしょう。
圓徳院
豊臣秀吉の妻・北政所ねねが豊臣秀吉没後に建立、晩年の19年間を過ごしたところです。
高台寺
ねねが秀吉の菩提を弔うために建てたお寺です。美しい庭園が参拝客を魅了します。
豊国神社
豊臣秀吉を祀っていましたが、豊臣家滅亡とともに取り壊されました。今の社殿は明治天皇の勅命により再興されたものです。
「京都市バス一日券」攻略法
「京都市バス一日券」発売額
大人 600円 小児 300円
「京都市バス一日券」利用例(京都駅出発・大人料金で計算)
京都駅→大宮中立売バス停(230円)
丸太町智恵光院バス停→河原町丸太町バス停(230円)
河原町丸太町バス停→東山安井バス停(230円)
東山安井バス停→馬町バス停(230円)
馬町バス停→京都駅(230円)
計1,150円
まとめ
豊臣秀吉といえば大阪城のイメージが大きいため、京都よりも大阪との深い関係を感じます。
それもそのはず、聚楽第をはじめ、御土居、伏見城など秀吉の手がけた京都の痕跡はほとんど残されていないのです。しかし、京都御所の目と鼻の先に建てられた「京都新城」を見る限り、豊臣家の京都への深い思いが見えてくるようです。
江戸時代に入り、秀吉の積み上げた京都の歴史は徳川家康の色に塗り替えられていきます。わずかに残された秀吉の痕跡を見つけることで、歴史をまた違った角度で学ぶことができました!
※情報は2021年6月現在のものです。※料金はすべて税込価格です。※詳しくは下記公式ホームページをご覧ください。
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